ProjectJapan物語

ここでは、あまり知られていないProjectJapanのお話を載せています
よかったら読んでいってください

かっこいいバック進入! PJの醍醐味の一つ

PJの始まりは?誰が始めたの?

Projectjapanをプレイ中、ふと思ったことはありませんか?
「北陸、四国、関西?なぜバラバラに作っちゃうの?」

そう、PJ最大の不思議といってもいいくらいの開発エリア飛び地現象。
ありえないフェリー移動で「こんなのないわ」とお嘆きの方もいることでしょう。
いったいPJってどんな歴史があって、どうしてこんなMAP構成になっちゃったのか。
かなり簡単にですがお話ししてみましょう・・・

時は2017年。
当時の製作者はPJ創始者でもあるStoked Dude氏で、ほぼ一人で北陸エリアを開発していました。 ん?いきなり北陸?

なぜ北陸なのか?

始まりが北陸・・・なんでやねんって言ったそこの方、私たち現PJメンバーも当時そう思いましたよ。
仮に、現PJメンバーが集まって日本のMAPをゼロから作ろうとした場合、東京、大阪、京都など日本の主な都市、世界的にも名前が通じるような有名な都市を選択するでしょう。
皆さんも作る側だとしたら、そうだと思います。

しかし、彼はそうしませんでした。
答えは意外にも単純なもので、私たち日本人の発想では行きつかないものでした。
日本地図を見て、北陸の位置に何か気づきませんか?
単純なことでした。 彼は北陸地方が日本地図の真ん中あたりだから製作を始めたのです。

日本の真ん中だからって発想は面白い!

海外から見た日本の視点、面白いですね!
その後、日本のMODDER諸氏が協力しモデルなどを提供し初期のPJが完成。
結果的に、ビルも建ってる都市部と原風景ともいうべき田舎とが混在するエリアとなり、日本をとても感じることができるMAPとなりました。

必見!ProjectJapan初のPV
走行エリアは北陸が最初でした

作業自体は実質一人で地道に行っていたため、作業スピードや更新頻度は決して早くなく、製作者もプライベートや他の製作活動に時間をとられたりといった日が続き、徐々に活動は低迷していきました。

PJ存亡の危機を越えて

Stoked Dude氏が多忙のためPJの活動継続が困難となり、更新がされない期間が長期間ありました。
このままではせっかくの良いMODが消えていってしまう。
そう考えた一人の漢(karu氏)が立ち上がり、2019年夏にProjectjapanは日本人メンバーを中心とした製作チームへと引き継がれることになりました。

Dude氏は顧問的な存在となり、新たにkaru氏がプロジェクトリーダーに。
各方面で活躍するMODDERが集まり、現在に至るまで活発に活動をおこなっています。
活動再開に際してまず行ったのが、バージョン対応作業でした。
ETS2本体がアップデートを重ね、そのままでは動かなかったPJを再び動かす。
それまでプレイでお世話になっていた「ProjectJapan」を、今度は自分たちの手でプレイヤーに届ける。
こんなにやりがいのある、素晴らしい製作活動をやれる日が来ようとは!

そして新生PJの初めてのPVが完成しました。
最初のPVはとにかく「PJが帰ってくるよ!」というお知らせ的なもの。
もう日本のマップは走れなくなるのかなぁと悲しんでいたプレイヤーさんも多かったと思いますが、まさにビッグニュースとなったのではないでしょうか。

あのPJが帰ってくる!ETS2バージョンは1.35でした
海外でも大きなニュースでした(字幕推奨)

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3件の返信

  1. 柏野文彦 より:

    はじめまして。元トラック運転手からの観光バスに乗務していた60間近のオヤジです。
    YouTubeでユーロトラックシュミレーターを初めて見てから 凄い興味を持ち ゲーミングPCの存在を知らなかったので、仕事で使っていた普通のパソコンにダウンロードして訳の分からないまま、訳の分からない外国を走って 訳も知らずにアップデートを繰り返して とうとう普通のパソコンでは処理出来なくなり最後にはパソコン自体が使用不能になってしまい新しくパソコンを買い換える失敗を経験し それをきっかけにETS2からも遠のき止めていましたが、久しぶりYouTubeで見たら なんと!! ユーロトラックシュミレーターが日本国内を走ってるではありませんか!!!!!
    そこから 50半ばのオヤジにチョットだけ火がつきはじめ 今更ゲームなんて・・・と思いながらも色々調べたら ゲーム用のPC・モニター・マウス・キーボードは普通のパソコンと違うことを知り 以前の苦い経験の理由も分かりましたが 同時にゲーミングPCのスペックに伴う値段の高さにビックリで この年になってからゲームの為に月給並みの金額をつぎ込む現実に直面し再び諦めざるをえませんでした。
    ですが!プロジェクトジャパンで日本の道を走らせてみたい!!って気持ちをどうしても諦めきれ無くて 2年ほど悩みましたがゲーミングPC一式買うことにきめました! 今は年齢は関係ない!好きなものは好き!やらないで後悔したくない!って気持ちで 夜な夜なPC・モニター・周辺機器の検索をしてどれを買おうか迷っています。届いたらプロジェクトジャパンをダウンロードして日本国内を走りたいと思っていますので 私には想像も付かないほどの大変な作業なのは承知していますが あなた達の作ってくれるゲームをスンゲー楽しみにしている人達が沢山居るので そんな人達の為にこれからも頑張ってください。
    パソコンに詳しくないので 無事にETS2で遊べるようになるのか不安はありますが 時間と視力が許す限り遊び倒したいとおもってます。

  2. 通りすがり氏 より:

    海外の方が創始者だったことに驚きました。湾岸もそうですけど日本のマップは昔のドライブの記憶が蘇ったりゲームならではのもしもが楽しめるのでありがたいです。PJに限らずETS2の可能性を広げてくれたすべてのMOD職人さんには感謝。

  3. 普通の高校生 より:

    自分は小さい頃からパソコンに触れる機会が多く、車に興味がありました。
    運転したいという思いがずっとあり、このゲームに出会いました。小学生の当時の自分はパソコンもあまり詳しくなくて、プロジェクトジャパンを入れることにとても苦労しました。
    中学生になってパソコンについて勉強して、ゲーミングPCを自作しました。簡単なことではありませんでした。
    G29の購入もしました。
    マルチプレイも対応するようになってから、パソコンを持っている友達を誘い、このゲームを一緒にやっています。
    製作者さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

    車好きの高校生がトラック、トレーラーに興味を持つきっかけになりました。

    心から感謝しています。ありがとうございます!
    大変なのは十分理解しています。
    これからもよろしくお願いします。

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